連載
コラム

パールワンダー11 ー ロンドンのかつての真珠街――ハットン・ガーデン

日本の養殖真珠の存在が一躍世界に知られるようになったのは、1921年5月4日、ロンドンの夕刊紙である『スター』紙が「ロンドン真珠大詐偽事件」という大見出しを掲げたことがきっかけだった。この見出しの下には「宝石商たちは数千ポンドをだましとられた――貝が共犯者――(宝石街の)ハットン・ガーデンとウエスト・エンドに警告」という小見出しが続いていた。記事の内容は、ロンドンの真珠市場に数シリングの価値しかないフェイク(ニセ)の真珠が紛れ込んでいることが判明した、その真珠は天然真珠とよく似ているので宝石商が騙され、最近真珠のネックレスを買った上流階級に動揺を引き起こしている、フェイク真珠は素晴らしい出来で、日本から来たことは間違いないというものだった。
当時、御木本真珠店はすでにロンドンに支店をもち、そこで養殖真珠を正当に販売していたので、ロンドン市場に天然として紛れ込んだ日本の養殖真珠は、高知や長崎の御木本以外の生産者たちが作ったものであり、それらが中国商人やインド商人の手を経てイギリスにもたらされたと考えられる。その養殖真珠が、「素晴らしい出来」のフェイク真珠として世界に知られ、衝撃を与えることになったのである。この記事を契機に御木本自身も真珠騒動に巻き込まれ、以来、日本の養殖真珠を認めさせるために、新たな戦いをすることになっていく。

私はこの新聞記事の内容を知って以来、ハットン・ガーデンとウエスト・エンドという地区に興味を持っていた。記事の見出しに、フェイク真珠の警告が出されたとあることから、1920年代のハットン・ガーデンやウエスト・エンドは天然真珠を扱う店が軒を連ねる高級宝飾店通りだったのだろう。今日、ウエスト・エンドにあるボンド・ストリートは、ティファニーやカルティエ、シャネル、グッチ、ルイ・ヴィトンなどの高級ブランドの旗艦店などが立ち並ぶお洒落な通りとして発展している。一方、ハットン・ガーデンは、金融街であるシティに隣接したカムデン地区にあり、ロンドンを代表する宝飾店街となっている。ちまたではロンドン中のダイヤモンド、エメラルド、ルビーが集まっているところと言われている。実際、ハットン・ガーデンは現代のイギリスのダイヤモンド取引の中心地で、この通りの近くにはデビアス社とその親会社のアングロ・アメリカン社のビルもある。
先日、ロンドンを訪れる機会があり、ハットン・ガーデンに立ち寄ってみた。シティ方面から西に向かうと、宝飾店が軒を連ねるハットン・ガーデンの通りに到着する。意外と静かな通りで、往来する人はそれほど多くはない。ただ、帽子や黒服のいで立ちからユダヤ人とわかる人がところどころ歩いており、ここが宝飾店街であることを印象づける。多くの店舗がダイヤモンドのジュエリーを店頭に飾っており、それらのダイヤモンドはGIA(Gemological Institute of America)の鑑定書つきのダイヤモンドとして宣伝されているが、ラボグロウンダイヤモンドを扱っている店も少なくない。いまでは海外では合成ダイヤモンドは天然ダイヤモンドとともに普通に売られていることがわかる。特筆すべきは、「ダイヤモンド、金、時計、宝石を買います」という広告が目立つことだろう。宝石や金はリセールが容易なため中古市場も重要な役割を果たしているが、ロンドンのハットン・ガーデンでも宝石や金などの売買によって市場が活気づいていることがうかがえる。
私の訪問の目的は、かつては真珠の売買で栄えていたハットン・ガーデンに、今日、どのような真珠店があり、どのような真珠が販売されているのかを観察することであった。残念ながら、店頭での真珠のジュエリーはほとんど見かけなかった。ただ、店先の看板をていねいに見ていくと、日本の地名を店名にし、「カルチャード・パール」と書いた看板を掲げた店がビルの二階にあることに気づき、嬉しくなってその店に入ってみた。厳重な二重扉の奥から出てきたのは、日本人ではなく、ユダヤ人の店主であった。扱っている養殖真珠はかなり小ぶりで、彼の父親は神戸に行ったことがあるが、本人はないとのことであった。店主によると、ハットン・ガーデンでは真珠を扱う店は大変少なくなっているそうである。
『スター』紙が「ロンドン真珠大詐偽事件」という大見出しを打ち、ハットン・ガーデンやウエスト・エンドの真珠商や宝石商たちの間に大きな混乱を巻き起こしてからすでに100年が経過。当時、養殖真珠は真珠でないと言い張った宝石商たちが、いまでは合成ダイヤモンドも積極的に扱っている。こうした状況に隔世の感を感じるとともに、宝石街は扱う宝石を変えながら時代とともに変化し続けていることを実感したのだった。