2021年7月20日・22日にNHK/BSとBS8Kで放映された「見たことのない文化財~国宝・救世観音」に出演しました。ご覧になった方もおられると思います。今回はこの番組へ協力したときの裏話を披露させていただきます。また白毫の素材の推定のプロセスについても触れます。
1.NHK「8K文化財プロジェクト」と法隆寺・救世観音の白毫
「見たことのない文化財」シリーズは、NHKと東京国立博物館が共同で取り組んでいる「8K文化財プロジェクト」の一環で作成されています。8K技術などの最先端の映像技術を使って、身近に文化財を体験してもらい、新たな楽しみ方を追究する番組です。今年は聖徳太子1400年遠忌に当たり、東京国立博物館では「特別展・聖徳太子と法隆寺」展が開催されました。NHKは法隆寺の特別の許可を得て、所蔵の国宝「救世観音像※1」の謎に迫るために8K映像撮影と三次元スキャナーによる形状計測を実施してデータ化し、3D-CG ”8K救世観音” を制作しました。
※1 救世観音像(図1)は法隆寺夢殿の本尊で,聖徳太子(574-622)の等身の御影と伝わる観音菩 薩立像。像高179cm。頭部から足を乗せる台座蓮肉(蓮の花托)まで一木で彫られ、漆を塗り金箔を押している。救世観音像の造仏推定年代は聖徳太子の没後の629-654年であり、739年に夢殿に納められた。厳格な秘仏で、1884年、国より調査の委嘱を受けたアーネスト・フェノロサと岡倉天心が、夢殿の厨子と救世観音の調査目的での公開を寺に求め、長い交渉の末に開扉が許されたものである。これにより、その後国宝となる救世観音の存在が国民に広く知れ渡った。
図1 国宝「救世観音」(法隆寺蔵・秘仏)
NHK側や番組に参加した仏教美術の専門家は救世観音の「白毫※2」の素材について興味をもっていました。というのも白毫は古くから真珠製ではないかとの噂があったそうで、NHK側から今回の3D-CGを観て真珠かどうかをテーマにできないかという問い合わせをもらいました。文化財保存修復学界の一部には、筆者が真珠を専門としていることを知っている人も多く、NHK側は奈良文化財研究所の知人からの紹介を受けて尋ねたと話していました。
※2白毫とは釈迦の化身で、仏像の眉間の中央にあって光明を放つという右巻きの長さ5尺の綿のように柔らかな白い毛のことで、ガンダーラ仏にその原初を観ることができる。彫像では標識として水晶、象牙、真珠、琥珀、木材などを用いて表わす。 東大寺法華堂本尊「不空羂索観音」(脱活乾漆像)の白毫は不透明の水晶製と伝わるが、真珠製との記述もあり混乱している(科学的鑑定は実施されていない)。絵画では白毫から数条の光明が放射状に描かれることが多い。また木彫像では、白毫の奥、すなわち頭内部に舎利(釈迦の化身)を置く例もある。
3D-CGによる白毫の拡大画像(図2)を見せてもらった最初の感想は、「真珠かもしれない」でした。三次元計測による白毫は、直径約13~14mm、厚み約10mmの扁平球形とのことで、アコヤ産真珠ではありえないサイズですし、このような天然の真珠を観た経験のある人は少ないかもしれません。また本像は全体的に汚れに覆われていて、白毫もほとんどが黒い煤状の物質で包まれています。ただ、ごく一部に汚れのない表面が観察でき、乳白色で半透明の表面が確認できました。もちろん水晶や象牙なども可能性として十分考えられることは明らかですが。
図2 3D-CGによる「白毫」の拡大画像(NHKより提供)
2.白毫の素材は真珠か~正倉院宝物の真珠調査
ここで白毫の素材としての真珠を立証することが求められます。真珠とするには以下の基準1)および2)が必須です。
1)不(半)透明で白色(乳白色など)、多寡は別として光沢をもち、球体であること(真球であることは稀で、扁平やイビツ等のことが多い)
2)特有の表面模様をもっていること:顕微鏡下で真珠固有の組織構造(真珠構造あるいは稜柱構造等)からなる成長模様を確認できること
さらに成分元素の確認の3)も補助的な基準です。
3)主成分である炭酸カルシウムの含有元素、カルシウム(Ca)が強く検出されること(非破壊・非接触蛍光X線分析で検証できる):水晶(二酸化ケイ素)、琥珀(高分子のイソプレノイド)はCaの含有量が微少なので、Caを主成分とする真珠(アラゴナイト/カルサイト)や象牙(ハイドロキシアパタイト)と区別できる。
基準の1)は確認できましたので、次に2)、3)です。しかし救世観音像は厳重な秘仏で、前述のように今回の夢殿での3Dスキャン調査・8K撮影は聖徳太子1400年遠忌の特別許可であり、さらなる調査は不可能でした。ですので、ここまでの情報で真珠かどうかは推察の域を出ないことをNHK側に伝えたのですが、実は逆に、番組への協力を要請されました。NHK側との相談の結果、出演のなかで、あえて「白毫は真珠」の可能性に言及しました。それは筆者が三十年以上前に出会い近接視した古代の真珠の記憶とこの3D-CGの白毫像がオーバーラップしたからです。
筆者は、1988年と89年の2か年(各1週間)にわたり、宮内庁からの委嘱を受けて、正倉院宝物「真珠」の材質調査に加わった経験をもっています。東大寺の倉庫であった正倉院には、聖武天皇七七忌(756年)の際に大仏に献納された天皇遺愛の品々9000点余が保存継承されており、そのなかには「礼服御冠残欠(北倉157)」や「枘御礼履(南倉66)」などに、4158個の真珠が遺存しています。これらの材質(種類や母貝の同定)や加工技術について、筆者を含めて4名の専門家が、肉眼・拡大観察(形状、色調、表面の組織構造、着染色・穿孔などの加工痕)や紫外線蛍光調査、蛍光X線分析(MnやSrの濃度による海水産か淡水産の判定)などの非破壊機器を用いた化学分析を実施しました。ここで詳細を述べるスペースはありませんので、ご関心の向きは、筆者らの調査成果(正倉院年報第14号(1992)に2編の報告:宮内庁正倉院のHPでPDFをダウンロード可能)をご参照ください。