特別
寄稿

小松博 真珠科学研究所創業者を偲ぶ

真珠の世界に多くのイノベーションをもたらした巨星、小松博さんが遠い空へ旅立たれました。小松さんは東京水産大(現・東京海洋大)を卒業された後、1963年に㈱ミキモトへ入社、真珠研究室長を務められました。ミキモト退職後に、当時の部下だった数名とともに研究を開始し、1991年に現「真珠科学研究所」を設立して徐々に事業を拡大、上野に移転した後も真珠鑑別・品質分析で大きな発展を遂げたことはご存じのとおりです。

小松さんと私の出会いは、私が東京芸大大学院を修了し保存科学研究室に残っていたとき、確か1981年ごろでした。私は学部3年生からNHK教育TVの科学教育番組制作のアルバイトをしていたのですが、ある時、真珠光沢のことで取材を受けた小松さんが渋谷の放送センター1階の「実験室」を訪問されました。反射率の高い物質の表面を観察することがテーマだったと記憶しているのですが、道路標示の白線塗料を顕微鏡観察していた時でした。夜間にも自動車ライトに反射し明瞭に視認できるように塗料には極小のガラス玉が混ぜられていますが、私たちはこれを映像に残そうとしていました。実験室には透過型生物顕微鏡(光源は鏡筒の真下にあり下から上へ照射)しかなかったので、光を斜め上から固体試料に投光し観察する反射型にするには工夫が必要でした。私たちは、大きな丸底フラスコに水を張り(凸レンズの機能)固定し、その外にハロゲン光源を置いて、試料表面に影響を与えない温度の光を集め観察する手法を試していました(今なら横からLEDファイバー光で照明できますが・・)。この様子を観た小松さんはいたく感激し、その後、私は研究などの話をしたことを覚えています。この出会いがきっかけで、交流が始まり、誘いを受けた私は1983年4月にミキモトへ入社しました。真珠研究に没頭していた小松さんも、私の専門である文化財科学研究に関心をもったのでした。共通するのは、歴史的あるいは経済的に価値あるモノを対象とし、研究が非破壊的手法に限定される点でした。

入社後、真珠研究室では、まず真珠層断面の走査型電子顕微鏡(SEM)観察について指導を受けました。当時のSEM写真はポラロイド(紙焼き)で、これを数千枚の層が観察・計測できるように繋げていきます。長さは数mにもなります。この作業を日々繰り返していました。今ならデジタルで拡大すれば簡単にできることも、かかる手数が多かったのです。研究室スタッフには、橘高純子さん(現・矢﨑副社長)がおられ、真珠研究のイロハを教えてもらいました。楽しかった記憶、失敗した記憶が残っています。もう40年も前のことです。

当時の研究室は、中目黒のミキモト装身具工場に間借りしていたので、お酒好きの小松さんはよく駅そばの飲み屋に連れていってくれました。ご存じの方も多いと思いますが、お酒を呑んだ小松さんはいつも饒舌で明るく、それは有楽町のガード下でも、銀座のバーでも、ほんとに楽しそうでした。小松さんは戦時中に山形県鶴岡市に疎開していたそうで、同地出身の作家、藤沢周平の作品を愛読していました。新作が出ると行きつけのスナックの客と評論をしていたのを記憶しています。その後、ずいぶんと時が経ってから、私は山形で仕事をすることになり、架空の海坂藩を描いた藤沢周平のファンになりましたが、これには小松さんの影響があったと思います。

小松さんはクロチョウ真珠の鑑別に「分光反射スペクトル法」(700nm付近の特有吸収)を導入し、ミキモトでは販売時に真珠のスペクトルを測定して鑑定書を発行していました。この吸収と関連してクロチョウ真珠は特有の蛍光を示し、この原因物質はポルフィリンと推定されていましたが、完全な現象は解明されていませんでした。小松さんは、これを私の研究テーマと定め、東京大学での研究推進を支援してくれました。しかし研究がスタートしようとしていたまさにその時、ミキモトの全社を巻き込んだ権力闘争が勃発しました。そのあおりを受けて研究室は鳥羽工場への移転が決まり、1987年に小松さん以下、私以外の真珠研究室スタッフは全員退職するという大事件が起きたのでした。私は10年間ミキモトに在職した後、山形市に開学した東北芸術工科大学芸術学部に助教授(文化財保存科学分野)として着任しました。同大学に「文化財保存修復研究センター」を設立し、16年間にわたり教育研究に従事した後、2009年からはエジプトへ渡り、JICAによる「大エジプト博物館保存修復センター」への技術協力プロジェクトに参画しました。しばらくして小松さんと再会のご縁があり、そのあと真珠科学研究所・顧問を務めさせていただいております。小松さんとの出会いがなければ私は違った人生を歩んでいたことでしょう。

長年にわたり小松さんが進めてきた真珠科学研究には多くの貴重な成果が出ています。その一つ「オーロラ効果(真珠の下半球に現れる反射の干渉色(光彩色))」は、弛まない観察や研究が与えた一つの到達点です。一人の科学者が人生を賭けて極めようとした真珠は直径数mmから1cm程度の小さな球体で複雑な材質・構造でできている母貝がつくる生体鉱物です。そして人類がこよなく愛したジュエリーでもあります。小松さんは常々この点を口にしていました。だから美しいし、だから難しいと・・・私たちは、小松さんの高い志を忘れず遺産を守り、未来へ継承していかねばなりません。私も微力を尽くしたいと思います。

小松さん、天国で旨い酒を好きなだけ召し上がってください 合掌