今年85歳になった師匠のいる三重県の志摩市へ、核入れの修行に何度もお邪魔しています。
栓を刺す前に、にがりにつけて口を開けさせる時の濃度や時間、栓の刺し方などにも、神経を使われていることがよくわかります。
それに、師匠が仕立てた抑制貝は、みごとに卵が抜けていて、ピースや核の位置も見やすいのです。
まずは、細胞の切り方を教えていただきました。核に密着させる側を強くいじらいように、また、稜柱(りょうちゅう)層を作る部分をきれいに取り除くように言われ、きれいに取ったつもりでも、師匠に点検してもらうと、ほんのちょっぴり残っている部分も見つけられてしまいます。
何よりも驚くのは、ハサミで外套膜を切り取るときに、師匠が切ると、最後まで貝がリラックスしてきれいに伸びているのですが、私が切ると、切り始めたとたんに外套膜が縮こまりはじめるのです。縮こまったものを無理やり切ると、ねじれてしまい、今度は表だか裏だかわからなくなる。最初の頃はまずこれで苦労しました。
今では、だいぶ余裕をもって切れるようになりましたが、いまでも、貝をおどろかせない師匠のお手並みには感心します。毎回、毎回、資料写真に出てくるような均一なきれいなピースが並びます。
自分の切ったピースへの信頼感がいまいひとつない私は、たまに、師匠の核入れが一段落して、あまったピースをくれた時は、この細胞なら良い真珠ができるかもしれない!と、がぜん核入れのテンションが上がります。
また、師匠の核入れの机には、何種類かの核を入れた箱が道具置きと一体になったものが置かれています。貝によって、とても柔らかく入れやすい時と、硬くて入れにくい時があることがあり、それによって核の大きさも代えればよいことも教えていただきました。
核入れをはじめた当初は、貝を殺さないこと、うまい位置にピースを入れ、それが核と正しい方向でくっつくこと。
それだけで精一杯でしたが、それ以前に、貝の仕立て、栓刺し、細胞切りなど、真珠が生み出されるために、重要な作業がたくさんあることを、徐々に学んでいきました。
師匠と、机をならべて、核入れをしながらの四方山話もまた楽しみのひとつです。
そして、その会話の中にも学びがあります。
「あんたんところはもう(天然採苗のための)杉葉はいれたかいね?」
「いえ、まだです。」
「もう、いれんといかんやろ?」
「実は、一年目は上手くいったのですが、二年目は稚貝がほとんどつかなくて・・。今年はどうしようかと・・・」
「たいがいが、一年目上手くいったら、次の年はいいかげんにして失敗するんや・・」
「・・・・。」
おっしゃる通りで、これは本当に耳が痛い・・・。その後もたびたびこのフレーズを聞くことになりました。
栓刺しのための塩分の濃度をちゃんと図らなかったり、水温の管理をちゃんとしなかったり。上手くいった後の行動はどうしても手抜きになる。
それを、自分を律して何十年も行って来た師匠に言われると言葉の重みが違います。
いつしか、志摩ですごす師匠との時間が、真珠養殖の修業というより、人生修業のようになって来ました。
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小網代パール海育隊 ー 核入れ修行その2