中村雄一さんの「リンゴの木を植える」のエピソードに感銘を受けたので、私も年の瀬に何かいい話を書きたくなりました。いろいろ試案して、思いついたのが、万葉集の話です。この話は2019年のジャパンジュエリーフェアのセミナーで紹介したことがありますが、多くの方は参加されていませんし、私自身これからも繰り返し語っていくつもりですので、まず改めて『Web版マルガリータ』で披露させていただきましょう。
令和時代となり、私が『万葉集』をひもといて思ったことは、この日本最初の歌集には真珠を読んだ歌が多いこと、さらに、そうした歌の中には、愛する人に真珠を贈るという歌が多いことでした。私がもっとも気に入ったのは、「磯辺で小枝を折り、焚火にしながら、おまえのために私が潜って採ってきた沖の真珠なんだよ」(磯(いそ)の上(うえ)に 爪木(つまぎ)折(を)り焚(た)き 汝(な)がためと 我(わ)が潜(かづ)き来(き)し 沖(おき)つ白玉(しらたま))という内容の歌です。潜水した後、冷えた体を温めるため、暖を取るのは、真珠採りの典型的な行動です。愛する妻か恋人にプレゼントするために、事前に焚火を用意して、冷たい海に黙々と潜り、真珠を採ってきた男性のひたむきな気持ちが伝わります。『万葉集』にはこんなロマンティックな歌があるのですね。
『万葉集』を代表する歌人、大伴家持には「離れて暮らす妻の心が晴れるよう、プレゼントを贈りたいので、沖の島にある真珠が欲しいなあ」(我妹子(わぎもこ)が 心(こころ)なぐさに 遣(や)らむため 沖(おき)つ島(しま)なる 白玉(しらたま)もがも)という歌があります。当時、家持は能登半島に単身赴任していましたが、京都にいる妻のために、その海で採れる真珠が欲しいと歌っているのです。こちらはまだ真珠を得ておらず、願望の歌となっています。
しかし、こうした歌を見ていると、万葉人は愛する人への思いを伝えるプレゼントとして真珠を考えていたことがわかります。中国やインド、西洋諸国では真珠は支配者の富と権力の象徴となってきました。しかし、アコヤガイに恵まれた日本では、愛しい人に真珠を贈る伝統が早くから育まれていたのです。令和の時代、『万葉集』にあやかって、こうした伝統をもっともっと引き継いでいきたいものです。
新型コロナの拡大で、今年はすべての人にとって大変な一年となりました。真珠業界も例外ではありません。来年、人類の叡智でコロナが収束することを願うばかりです。どうぞよいお年をお迎えください。
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コラム
パールワンダー 4 - 愛しい人に真珠を贈った万葉人