先日、日本ラテンアメリカ学会で、16世紀の聖職者ラス・カサスによる南米本土への入植計画が真珠利権だったこと、16世紀前半には南米の真珠採取業が奴隷制水産業として成立していたことなどを報告した。そうした報告をすると、いつも聞かれるのが、なぜ真珠は歴史研究で抜けていたのかというものである。したがって改めてこの問題を考えてみよう。
真珠はふたつの点で十分認識されてこなかった。ひとつは、高価な交易品としての真珠である。もうひとつが、真珠がそれほど貴重ならば、真珠が採れる海域は富の源泉であるが、そうした海域は地球上には数が少なかったという事実である。たとえば大航海時代の多くの歴史書はいまでも、ヨーロッパ人は黄金とスパイスを求めていたと解説している。しかし、コロンブスとスペイン国王夫妻との航海の「協約書」では、もっとも望まれていた物品が「真珠、宝石、金、銀、スパイス」だった。真珠が冒頭にあるにもかかわらず、その真珠が忘れられてきたのである。
理由のひとつが、真珠は高額で小さな物品のため、隠匿、密輸、過少申告が容易であり、その取引はインフォーマルな場合が多いからだろう。実際、コロンブスは第三回航海時、求めていた真珠をベネズエラで発見するが、その真珠の多くを着服し、スペイン国王夫妻にはわずかしか献上しなかった。そのことが露見して、コロンブスはその後冷や飯を食うが、南米の真珠の発見という重要な出来事は、隠匿から始まったのである。いかに闇取引が多かったかは想像に難くない。
二つ目の理由は、歴史学では生活必需品の生産こそが経済発展を促進するという考えが強く、真珠や宝石などの奢侈品は概して過小評価されてきたからである。しかし、戦後日本の養殖真珠の生産が辺鄙な沿岸部や島嶼部に産業を与え、多大な外貨を稼いだように、真珠産業はすそ野の広い産業で、経済発展やグローバル化に大いに寄与してきたのである。
三つ目の理由は――そしてこれがもっとも重要であるが――日本の養殖真珠の技術発展が素晴らしかったからである。明治期以来の養殖真珠技術の発展は、真珠の大きさ、色、出現率などを大きく変えたが、なかでも垂下式養殖の考案が真珠の生産できる海域を拡げた意義は大きい。それによって、これまで海が深すぎて天然真珠採取が不可能だった海域でも真珠養殖が可能になった。その一方で、真珠の海の希少性は忘れられていったのである。
以上述べてきたことが、おそらく真珠看過の主な要因といえるだろう。しかし、いつまでも真珠が忘れられた現状に甘んじているわけにはいかない。歴史における真珠の重要性を知ることは、現在の真珠養殖の意義を知ることであり、真珠と日本人の関係を知ることでもあるからだ。私は昨年『真珠と大航海時代』(山川出版社)を出版したが、語り尽くしていないことはまだまだある。真珠の看過と戦いながら、真珠の意義を発掘する作業は日々続いているのである。
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パールワンダー9 ー なぜ真珠は歴史研究で抜けてきたのか