5月1日、宮中儀式に臨まれた新皇后さまの頭上でひと際輝いていたのは、歴代皇后に受け継がれるいくつかのティアラの中でも「皇后の第1ティアラ」と言われる、最も由緒あるティアラでした。
明治19年、近代化を志向する欧化政策の中で、宮中での女性の正装は洋装と定められた。往時の昭憲皇太后のお写真のティアラは、過日の新皇后さまのティアラとデザインが酷似しているという。このティアラは、明治20年2月11日付の新聞で「ドイツ、ベルリンの御用金工師レヲンハード及びフィーゲルの2氏が制作、ブリリアント形の金剛石(ダイヤモンド)60個を用い、頂点のダイヤモンドは取り外しが可能。」と報じられた。
同じ形状のティアラを大正天皇の后である貞明皇后、昭和天皇の后である香淳皇后、そして現在の上皇后さまも皇后時代に着用されている写真がある。
学識者は「完全に同じものかどうかは分からないが、伝統のデザインが受け継がれているのは確かであり、そこには<皇后>を象徴するティアラを受け継ぐ決意と覚悟が窺える」と言う。
「皇后のティアラ」に対し、今回秋篠宮妃紀子さまに受け継がれたとされるのが「皇太子妃のティアラ」。流麗な唐草のデザインは、上皇后さま、そして皇后さまがご成婚の際に身につけられていたものである。秋篠宮さまが皇位継承順1位の「皇嗣」となられたことで、紀子さまに伝わったということであろう。
(因みに、眞子さまの成人式では「和光」、佳子さまは「ミキモト」が受注制作しました。)
さて、上記ティアラはダイヤモンドのティアラである。「永遠の輝き」の象徴としては、譲らざるを得ないものの、「幸福と健康」を象徴する真珠のティアラもまた、多くの人生の新しい旅立ちに花を添えている。
一例を挙げる。筆者が真珠人生の大半を過ごした企業では、昭和40年代の過剰生産を主因とする不況時、半製品の輸出と大卸専業から、完成商品の国内小売りにも着手し、年次各種製品制作に注力し、完成品制作企業の吸収もあって優秀なスタッフが育った。
百貨店の宝飾フロアーに真珠コーナーを常設し、又、銀座、神戸の直営店で、ユーザーに直接対峙する日々の中で、他社との差別化に、当社商品購入実績客を対象に「結婚式及び披露宴での真珠ティアラの貸し出しサービス」を企画した。
忽ち、評判を呼んだが、デリバリー(受け渡し)の都合上、出展百貨店以外では六大都市とその近隣とし、5種のデザイン・計8点で希望を受け付けることになった。
それぞれに制作室で愛称が付けられたが、まさしくそのデザインに相応しい愛称であった。
ダイアナ:「気品」 マーガレット:「可憐」 エリザベス:「高貴」 マリー:「清楚」
ヴィクトリア:「優雅」(それぞれアコヤ真珠が80~130個、似合うものがチョイスされた。)
挙式シーズンは1年前からカレンダーに予約が記入され、満杯でお断りすることもあった。
今振り返って、ティアラの受け渡しのたびに、いろんな慶びがこぼれんばかりに溢れていた。
まさしく「 パール プリンセス 」。ティアラとともに輝くばかりの純白のウェイティングドレス姿の花嫁の斜め横からの写真を戴くこともありました。ご了解を得て、春のホテル催事「パールフェア」の前面のプレゼンテーションコーナーにティアラと一緒に飾り、来場客に向けて気品ある晴れやかさを演出しました。
ある頃から、重量感のある全冠タイプから、小ぶりの可愛らしいタイプをヘアアクセサリーのように着けることも好まれてきましたが、令和始まりの儀式が、再びこの「全冠ティアラ」の火付け役となるのかもしれません。