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コラム

パールジャーナル ー 歴史探求の難しさ

山田篤美博士の新作が11月17日に発売されます。「真珠と大航海時代」と題されていますので、これまでの著書、「黄金郷伝説」や「真珠の世界史」から続きですね。「真珠」をキーワードに大航海時代の歴史を見つめ直した作品かと推測します。さて、先日ちょっと歴史を調べて苦戦しました。山田氏の論文のような高尚な内容ではなく、ある地域の真珠産業の流れを調べたのですが、思ってもみない方向から作用を受けました。今回はそんな話について。
歴史を探る行為の最初は「記録」を漁ることから始めると思います。記事や文献などを読んで「流れ」を繋いでいくわけですが、まずはその記録が正しいのかどうか?この判断が求められます。先日の調査では、ある人物の来日時期が文献によって年号が2年ほど違っていました。他の業界は知りませんが、真珠史ではよくある話です。もっとも有名なのは真円真珠開発の年度ではないでしょうか?ミキモト史では1905年ですし、日本真珠振興会の歴史では1907年となっています。さてどちらが本当か?これはどちらにも根拠があり、そのどちらを選択するかの問題。立場によって結論が変わると・・・さて、私の調査の話にもどります。この「来日」は戦前の話ですし、その人物の親族にも聞いてみたのですが、結論はでませんでした。外務省の入国記録を調べる方法もあるのかもしれませんが、結局筆者は「19xx年頃」というあいまいな記述に止めておきました。
次に調べたことは戦後の話であり、当事者の皆さんはまだ元気に暮らしています。当事者の一人が書いた文献を読んでそれをまとめたのですが、別の当事者から「そんな事実はなかった」と猛反対を受けました。よくよく双方の話を聴いてみると、どちらも表現の選択に意図がある様子。記録であれ、あるいは口伝であれ、それが客観なのか?主観なのか?これを見極めることはなかなか難しい。そしてまた、どちらを選択するか?という課題が再び浮上してきます。先ほどの真円真珠発明者の例を再度取り上げてみると、かなりの空想をベースにしたサビール・ケント説か?御木本幸吉か?西川藤吉か?山田氏のように見瀬辰平を推す歴史学者もいます。「真実はいつも一つ」とはアニメ「名探偵コナン」の決め台詞ですが、今回の経験からは、むしろニーチェの「真実など存在しない。存在するのは解釈だけである」という言葉の方が響く結果に。で、どうしたのか?今回書いた話のテーマでは、その点はそれほど重要ではなかったので現在でも見て取れる事実だけを書くに止めておきました。
真実という言葉に対して、歴史、史実、解釈、あるいは仮説という言葉も加えるべきなのか?相反する記録などが見つかった時、皆さんはどうしているのでしょうかね?多角的に検証できる文献が多く存在すれば精度を高めることは可能だと思いますが、少ない場合は?先に紹介した山田氏やミキモト真珠島の真珠博物館館長である松月清郎氏など、真珠業界の歴史を専門的に探求している方々が居ます。筆者よりもっと悪戦苦闘しているのだろうなと、今回の経験から勝手に思った次第です。