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コラム

パールワンダー3 -  真珠の隠匿阻止の戦い

高価で小さな真珠は密輸、隠匿される物品の王者である。16世紀のスペイン国王たちは、そのことを十分知っていた。それゆえ、密輸や隠匿を阻止するために、さまざまな真珠法を考案することになった。
真珠法が施行されたのは、南米ベネズエラ沖に浮かぶクバグア島。わずか24平方キロメートルの小さな島である。この島の海域には日本のアコヤガイと同じ真珠貝が生息していた。16世紀になると、スペイン人が先住民を海に潜らせて真珠採取を実施するようになった。スペイン国王は、採取された真珠の五分の一を税として徴収するため、多くの地方官吏をこの小島に送り込んでいた。
興味深いのは、個々の真珠の詳細な管理である。真珠法によると、獲得した真珠は、等級、価値、真珠を得た年月日、真珠を採った人物とその所有者について記した帳簿を二冊作らなければならず、二人の官吏がそれぞれ保有することになっていた。それらの真珠を五分の一税の課税対象として分ける時は、さらに書記が立ち合い、帳簿をつけ、真珠は島に置かれた宝庫の引き出しの中で保管された。宝庫には三つの鍵がついており、別の三人の官吏が所持した。宝庫の残りの引き出しには、スペイン人の生産者たちが所有する真珠が保管された。彼らは自分の鍵を持つことができ、誰かが宝庫を開ける時には告知があり、宝庫の前にいることができた。まさにお互いがお互いをまったく信じていないような集団監視体制による真珠の保管である。スペイン国王は一人の官吏だけに真珠を委任する危険性を熟知していたのである。
クバグア島のスペイン人たちは、真珠の売買や島からの移動についても厳しい統制下に置かれることになった。真珠法によると、官吏の前でない限り、真珠の購入や売却は禁止された。また官吏から許可証を得なければ、大小の船やカヌーのいずれでも、真珠の漁場を除き、島から出ることは禁止された。こうした行動を制限する一連の法令は、裏を返せば、それだけ真珠の不正が後を絶たなかったことを示している。
時代は、日本では戦国大名たちが争っている16世紀。この時代に南米世界では真珠の密輸を目論む生産者とその阻止を目指す行政当局の熾烈な争いが起こっていた。