連載
コラム

保存科学の視点から ー 第1回 真珠との出会い

この度、真珠科学研究所からのお誘いを受けて、連載コラムを始めることになりました。拙文を載せますのでよろしくお願いいたします。
私のことをご存じの方も多いとは思いますが、まず簡単に自己紹介させていただきます。大学学部では農薬化学を学び、恩師の薦めもあって、東京芸大大学院で文化遺産の保存科学を修めました。NHK教育番組のアルバイトで知り合いになった、当時㈱ミキモト真珠研究室の小松博室長に請われて1983年にミキモトへ入社し、目黒にあった研究室で真珠のイロハから研究員をスタートしました。山口大学の三好正毅先生との出会いは、真珠の光学研究、とくに蛍光分析に途を開き、応用物理学会に何本か論文を投稿しました。その後、小松室長や同僚の退職後に会社事情で鳥羽工場へ転勤し、㈱ミキモト真珠島の松月清郎さん(現・ミキモト真珠島真珠博物館長)と出会いました。正倉院の宝物真珠を一緒に調査した松月さんとのエピソードは、後日ここに書こうと思います。
東京へ戻ってからは、特販部という営業部門で、結婚式の引出物を販売する仕事を約3年半担当しました。最後は営業課長でしたが、山形市に新設された東北芸術工科大学から誘われ、1993年文化財保存科学分野の助教授として教員生活を開始しました。そして2009年に退職するまでの16年間に、文化財保存修復研究センターを設立し(2001年)センター長として地域遺産の保護事業を進め、また保存科学分野の多くの若手専門家を育成しました。文化遺産は、各地域の、国の、世界の財産です。若者たちと語り合った「文化財は愛だよ、愛!」という言葉を大切にしています。
国際協力の現場で仕事をしたく考えていた折、エジプトに新たな博物館を創設する計画を知り、国際協力機構(JICA)から、運用を始めた大エジプト博物館保存修復センター(GEM-CC)の技術指導を頼まれました。そして2010年4月からテクニカル・チーフ・アドバイザーとして現地でエジプト人スタッフのための技術研修の企画運営を進めました。この人材育成プロジェクトは2016年3月で終わりましたが、6年間に100回を超える研修等をエジプトと日本で実施し、GEM-CCの国際的な評価を上げるのに貢献できたと思います。エジプト人コンサバター達と築いた篤い信頼関係は私の生涯の宝物となりました。新博物館は来年オープンの予定で、現在ツタンカーメン王の宝物の修復が進んでいます。
帰国後に東洋美術学校保存修復科の教育研究スーパーバイザーに就任し、文化遺産のコンサバターを目指す若者たちと一緒に学びを続ける日々です。予防保存、保存科学、科学分析診断法、博物館資料保存論などの授業を担当しています。日本や世界各地に遺る文化資源の保存と活用に関心があります。もちろん真珠科学にも興味を持ち続けています。
さて、このコラムのアイコンですが、真珠研究室にいた頃、アコヤガイの貝殻表面を走査型電子顕微鏡で撮影した懐かしい画像です。小松室長の指導で、真珠にまつわるいろいろな自然現象を知りました。結晶の成長もその一つで、アラゴナイト結晶の真珠構造にも驚きましたし、真珠光沢との関係性にも実験や観察を通して多くを学びました。
炭酸カルシウムの水に対する溶解度は0.00015 mol/L (25 °C) とごくわずかです。しかし、長期間空気と接している水は二酸化炭素を吸収して弱酸の炭酸水を生成し、pHがわずかに酸性に傾きます。この条件に置かれた炭酸カルシウムは、水よりも溶解性を増しますので、真珠を溶かせる状況になります。試験管に真珠を詰めて水を注ぎ、静置状態で長期間に及ぶ真珠表面の観察を指導されたのも小松室長です。試験管底部の真珠は溶けていないにも拘わらず、水面そばの真珠は表面の変化が著しかったのを記憶しています。


その後、鳥羽で真珠が溶けてしまったネックレスに度々出会い、核が剥き出しになっている真珠には驚きました。この写真の真珠のようです(※1写真の真珠の劣化は他の環境因子によるものです)。人の皮膚表面はpH 4.5~6といわれ(さらに酸性のケースもある)、肌に接する真珠は汗も相まって溶解することになります。この劣化現象は皮脂の脂肪酸(パルミチン酸を30-40%含む)が原因と考えられますが、詳細の再現実験はおこなえませんでした。販売された真珠を、貴石のように、世代にわたって使い続けてもらうには、メンテナンスの必要性とともに真珠の保存環境(micro-climate)に配慮することが望まれます。真珠研の「真珠クリーニング&エステ」のような消費者へのメッセージも、真珠業界には肝要と考えます。
ミキモト退職後、1987年に真珠科学研究所を興された小松所長は、いち早くさまざまな分野の研究に着手されました。遠くから眺めておりましたが、その発想力、行動力、実現力に頭が下がりました。4年弱という短い時間でしたが、最初の上司が小松室長であったのは幸運でした。爾後、研究生活は数えて37年、教育職として27年が経過しました。4年前からFacebookに東洋美術学校保存修復科のページ(※2)を開いています。一度覗いていただけたら幸いです。

 

※1 ICOM-CC Preventive ConservationのFacebookページより引用(https://www.facebook.com/ICOMCCpreventiveconservation/)
※2 保存修復と遺産科学の学習室 Art Conservation and Heritage Science Studies (https://www.facebook.com/Conservation.HeritageScience/)